第5章 展望期 永続企業への道

平成25年(2013)~令和元年(2019)

リーマンショック後の経済の萎縮

緊縮財政による地域間格差の大きな、そして控えめな景気回復は、早すぎた金融緩和の終了、さらには平成20年(2008)に始まる世界金融危機(リーマンショック)によって、過去にない急速な経済収縮期に至った。鉱工業生産、企業倒産、雇用などさまざまな面で、これまでに例をみないほど急速に経済が収縮した。この危機的状況のなかで、当時の政府(麻生内閣—民主党政権)において大胆な政策転換は行われず、不安定な政治状況による「政策の不在」により、リーマンショック後の景気の落ち込みは、当事国である欧米よりも、日本においてより深刻なものとなった。

東日本大震災を乗り越えて

わが国経済は、各業界に対する景気刺激策の効果などにより、緩やかな回復基調にあったが、平成23年(2011)3月11日に発生した東日本大震災の影響を受けることとなった。
3月11日に北関東から東北地方にかけてマグニチュード9.0の巨大地震が発生。この地震によって巨大な津波が発生し、多くの犠牲者を生むことになった。また、東京電力福島第一原子力発電所の事故も発生した。
この東日本大震災の影響は、日本全国にもさまざまな形で影響を及ぼし、長期化する欧州の財政不安や電力供給の制約などを背景にした円高株安の動きの中で、景気は依然として先行き不透明な状況で推移した。

エコカー補助金の交付の終了ならびに東日本大震災の影響で、自動車用塗料が低迷したが、こうした逆風にも負けず、当社は全体では売上を伸ばすことができた。
当社の業績は、営業力の強化と付加価値の創造、コストの削減などの努力の結果、売上は対前年比6億2000万円減少し、151億6500万円(前年比96%)だったが、経常利益は3800万円の増加で1億4800万円(前期比102.8%)と健闘した。
ただ、東日本大震災の国内外への影響が広範囲におよび、不透明な状況が長期にわたるものと予想され、国内外の政情不安に伴う懸念材料も多く、予断を許さない経営環境が続くことが予想された。

平成24年(2012)は、東日本大震災からの復興が続く中、景気は緩やかな回復基調にあった。ただ、欧州での債務危機の影響による先進国経済の停滞と円高株安の進行に加え、日中関係の悪化もあり、低調に推移した。
一方、新政権のデフレ脱却にむけた金融・経済政策への期待もあり、円高の是正、株価の回復がみられた。円高の是正により、輸出や生産部門に持ち直しの動きが見られ、復興需要が続く中、住宅投資や公共投資が増加傾向になり、全体として景気は緩やかな回復を見せた。
当社の業績は、エコカー補助金の終了に伴い、下半期は落ち込んだものの、全体では自動車の生産台数が増加したことや可能な限りのコスト削減に務め、売上は8億9000万円増加し160億5200万円、経常利益は1600万円減少し1億3200円となった。

消費増税の影響で売上にも影響

社長就任祝賀会

社長就任祝賀会

社長就任式

社長就任式

平成26年(2014)の5%から8%への消費税引上げにより、耐久消費財から一般消費財にいたるまで消費者の買控えが目立ち、政府の経済政策や日銀の金融政策などに支えられるかたちでゆるやかな回復基調は見えるももの、不透明感は払拭できない状況で推移した。
こうした中、都市部における建設工事の売上は伸びたものの、前期のメキシコでの塗装設備関連の工場による寄与がなくなったこともあり、売上は前期を下回った。(売上171億5200万円、経常利益2億4200万円)
ただ、今後の見通しとして、復興の需要や2020年に予定された東京オリンピック関連の需要と経済政策、金融政策などにより、景気回復はゆるやかに進むものと期待できる要因もあった。

第4代社長に弘晶が就任

弘晶が入社して13年目の平成26年(2014)9月、塗料メーカーとメインバンク、そして準メインバンクから「そろそろあなた自身が経営トップ(社長)として事業を進めてはどうか」との話が持ち上がった。リーマンショック、東日本大震災の影響を乗り越え、抱えていた不良債権も全額償却して、ほっとひと息ついていた最中のことだったと、弘晶社長は記憶している。
当初は固辞していたが、三者からの執拗なまでの申し入れと「同族企業のままでは永遠に継続することができない」という思いを入社以来感じていたこともあり、翌年3月に社長を引き受ける決心をした。中島範久社長には自身や塗料メーカー、金融機関から意向を伝え了承を得た。
こうして、平成27年(2015)5月の株主総会で、第4代社長に中島弘晶が選出された。入社以来、中島勉会長、中島範久社長を支え、中島商会が抱えていた管理部門の甘さなど弱点の克服に力を注ぎ、経営企画室長や専務取締役という立場で、当社の近代化、組織化を進めてきた弘晶の社長就任は、社内はもちろん主要取引先である塗料メーカー、支えてくれた銀行などからの期待が大きいものだった。

企業体質の強化に取り組む

弘晶が社長になるにあたり、最初に幹部社員を集めて、次のような所信を表明した。
「自分がリタイアした後の社長は、これまでのように中島家ということは考えていない。いわゆる世襲制度は私の代で終わりにする。そのために会社の運営、機関設計を早めに構築していきたい。また、開示と内部管理は同一の情報に基づいた事業活動を推進していく」
とはいえ、弘晶社長自身も、また話をきいた幹部社員自身も、弘晶社長以後の会社の運営、機関設計をどのように行えば良いのか、明確なビジョンはなかった。
社長就任から数ヶ月後、日本経済新聞の夕刊に、記者が社会人ビジネススクールに入学し、卒業するまでの体験談が掲載されていた。記者は国内ビジネススクールが注目されていることと、自分自身が関心を持っているテーマをさらに詳しく学びたいということを課題に入学したという。
「その記事を読んで、私自身は経営者ではあるが経営学を学んでいないなと思い、さまざまなビジネススクールの入学案内を取り寄せました。その中から東京の会社と下宿先に近いスクールを選択し説明会に参加したのです。説明会で話をうかがった教授がビジネススクールの代表者であり、経営者でした。説明を聞いて、なぜ経営学を学ぶ必要があるのか、そんな蟠(わだかま)りもなくなり、大学の名前やカリキュラムよりも尊敬できるその経営者の下で学びたいと思うようになったのです」
弘晶はこう振り返り、スクールでは、経営学の基礎知識から会社経営に必要な専門知識を身に着けたほか、経営者としての価値観や組織のリーダーに必要な姿勢といったことも学んだ。また、ケースメソッドによる実践的な学びを通じて自社の事業を持続的に成長させ、挑戦し続ける風土を醸成する必要性を感じるようになった。
ビジネススクールで学んだことが、その後の中島商会のさまざまな実務分野で生かされるようになったことはいうまでもない。

こうしたなか、当社はコンプライアンスの徹底を重点におき、自社ブランドの開発、新規市場の拡大、社内インフラの整備に取り組むことにした。
これは、重点方針である「安定した高収益力の確保」と「継続的財務体質の改善」を確かなものにするためのものであった。
平成27年(2015)度第98期事業報告書には、「第5次中期経営計画の最終年、懸念材料を精査し、修正すべき課題を見つける。当期まで実践してきた種まきを収穫していく年になる。新人事制度による働きやすい職場づくり、新基幹システムの導入による管理体制の強化をすすめ、重点項目である「安定した高収益の確保」と「継続的財務体質の改善」に取り組む」と明記している。
具体的には、「メーカーとの更なる効果的な協同取組」、「グループ会社とのコラボレーションの展開・情報の共有化」、「海外調達品の販売展開」、「営業インフラの構築」、「高付加価値商品の展開」、「リスクマネジメントの運営展開」、「変化する法規制の対応」といった主要施策を軸として取り組んでいくこととした。

M&Aで企業規模拡大

弘晶社長になる以前、専務時代から手がけた事業戦略の一つにM&Aがある。
「M&Aは、一般的には新たな商材、顧客、販売エリアの拡大を目的としたクロスセル戦略の構築といわれています。当社においてもそうした戦略を実行すべく、対象となる企業の管理レベルを丁寧に確認しながら、月次決算など当社の管理レベルに合わせられるようマネジメントを徐々に改善していきました。各社の企業文化や社風が異なるため、時間のかけ方を変えながら対応することが必要だと考えていました。事業を完全に譲渡するまで他の業界と比較すればスピード感がないと思われるかもしれませんが、早くて1年、遅くて3年くらいの期間を要しました」
結果、弘晶氏が専務時代に約100億円の売上を伸ばしている。

グローバルなサービス体制の強化

また、海外市場へ目を向けるようになり、平成20年(2008)に上海に拠点を設けたのを皮切りに、平成25年(2013)にはメキシコに現地法人「NAKASHIMA SHOKAI DE MEXICO,S.A DE C.V」を設立した。
「上海が4~5年前、先にできていて、2008年に上海へ。もともとは貿易とか、要するに中国製品を安く買ってこちらでというような意味合いで、仕入れが主な仕事だったんです。それで、そこから塗り壁材を売るというビジネスに2012~2013年に変わっていくんですけれども、メキシコは全く違うビジネスでした。当時、マツダがメキシコに出るという話の中で、お客さんが出ていくので我々も日本と同じサービスを現地でできないかということから。日本で受けた仕事があったので、塗装設備を作ってその見守りで半年間行けと言われて、現地法人をという流れになって作ったということです」と、メキシコでの現地法人を担当した永谷マネージャーは振り返る。

令和1年(2019)9月には、ミャンマーに現地法人を設立した。ミャンマーは〈最後のフロンティア〉ともいわれ、この地での事業展開について、弘晶社長は「二つの意味」を持っているという。一つは、これまで軍事体制下で近代化が遅れていたミャンマーの民主化により、一気に近代化が進み、経済成長が期待されている中、建設部門の需要が大きく見込めること。もう一つは、人材の確保、多角化の一翼を担えるのではないかという点だ。
「これからの時代の人手不足を補う方法として、外国人材の確保は欠かせません。ミャンマーの人をこちらに派遣してもらい、技能実習生として5年間学ばせ、帰国してから同じようなことができるようにしたいと思っています。社員には、中国人、台湾人が現在7人ほどいるので、外国人を正社員で雇用するという地の利はもうできています」

塗料を軸にした総合商社へ

平成24年(2012)12月に行われた衆議院選挙により、政権は3年4カ月ぶりに自民党・公明党の連立政権となり、第2次安倍内閣が発足した。その経済政策は「アベノミクス」と呼ばれ、大胆な金融緩和により建設分野を中心に景気回復が進み、平成10年以後約15年間にわたって伸びを欠いていた当社の売上は、平成25年(2013)から再び勢いを増した。
第5次中期経営計画のスタートした平成26年度決算では、総売上171億5173万円だったが、翌27年度では186億6785万円、28年度191億7583万円、そして29年度204億842万円と、初めて200億円を突破した。
平成29年(2017)には、9年前に分社化した株式会社NNCを合併した。これは、当初の目的が達成したことを踏まえ、再度一緒に事業を進めることで今後の発展に繋げようというものである。
またこの年(2017年)、第6次中期経営計画がスタートした。同経営計画では、「これまでの業界の常識にとらわれることなく、積極的な改革」を提唱。具体的には「規模の経済の発揮」「事業規模の拡大」「調達力の強化」「ROAの改善」「社員教育」に重点をおいた経営の推進を掲げた。

現在の中島商会に必要なこと

この計画を達成するために必要なこととは、どんなことなのだろうか。弘晶社長は次のように考えている。
「マネジメント層、マネジメントする部課長クラスの能力の向上ですね。今までそのクラスというのはアナログ時代に育ってきました。今はデジタルが入ってきている。ですから、対応ができないんです。中国銀行の頭取がこちらにお見えになったとき、「僕ら文系の出身の頭取は私で終わりです」と。やはり「テクノロジーがある程度分かる人間がトップに立たないと、これからの時代は本当に無理です」と言われました。通商も電子化になった。電子化になったらいいなとか、リスクはどこにあるのかとか、そんなことしか聞かない。素人が誰でも聞けるようなことを。「もっと深掘りした質問ができるような人間でないと、たぶん経営は無理ですね」ということを言われていた。まさしくそれはそうです。そこの部分ですね」
今が一番の転換期で、その転換期にきちんと向き合えるかどうか、これが一番のポイントだと考えている。

永続企業への道

中島商会のマークと70を融合させ、70周年とその後の未来を塗料で描くという思いを込めている。作成者・塩田恵美

中島商会のマークと70を融合させ、70周年とその後の未来を塗料で描くという思いを込めている。作成者・塩田恵美

2019年、平成から令和の時代に入り、令和2年(2020)、当社は創業70周年の節目を迎える。この70周年を通過点として、中島商会は今後どのようにさらなる飛躍を遂げていくのだろうか。
「もっと社会に中島商会のことを知ってもらえるような事業活動をやって行くということですね。規模感が足りない、これをもっと大きくしていく。そのためには、異業種との提携だとか、一つは資本政策で、今は持ち合いの株式というのは時流ではないけれど、うちと同規模の、例えば地元の異業種分野の企業と株式の交換をして、お互いに強みを持っている商品をどんどんお互いの経営資源の中に放り込んでいくことで、事業の拡大を図るということで、これが一番インパクトがあるし、早いかなと思います。同業種同士がくっついても、メリットはそんなに出てこないので、やはり異業種。お互い経営に対しては口出しはしないけれど、お互いに持っているものは交換してやっていこうよというのが、一番目指していくことかなというところです」
M&Aによるグループの拡大に加え、さらにそれを越えた他業種との資本提携によって自らの母体を大きくすることで、企業体質をより盤石なものにし、ひいては掲げている「永続企業」への道が、弘晶社長には見えているのだろう。

創業70周年当時の役員 後列左から、渡辺隆祐、立花利章、岡本邦彦、篠原竜馬、岡井研二、川畑寿之 前列左から、中島範久、中島勉、中島弘晶

創業70周年当時の役員 後列左から、渡辺隆祐、立花利章、岡本邦彦、篠原竜馬、岡井研二、川畑寿之 前列左から、中島範久、中島勉、中島弘晶